見栄と世間体という日本人気質

見栄と世間体という日本人気質

これは、歴史を紐解くまでもなく、今の日本にも当てはまる指摘です。

 

日本人は見栄と世間体の中で生きています。

 

その最たるモノが「ムラ社会」ですが、そこから追放されたら大変。それが、日本人を動かしている大きな大きなモチベーションになっているのですね。

 

 

「葬式では、この世間や世間体ということが顔をだす場面が多い。たとえば、布施や香典の「相場」というものに、それが現れている。布施や香典は、あくまでそれを行う側の気持ちによるとされているものの、もっとも重視されていろのは、自分がいくら出したいか、あるいは出せるかではなく、他人がいったいいくら出しているかである。」(P73)

 

「家の各が高いとみなされている家は、村の祭りのときもそうだが、とくに人を葬るときには、他の家に比べてより贅沢な葬式をあげなければならない。分不相応な贅沢をすることもタブーだが、逆にその家の格にそぐわないような粗末な葬式をあげることも許されていない。」(P82)

 

「葬式を贅沢なものにしていく上で、葬式を出す側の見栄や名誉欲というものは、かなり大きな役割を果たしている。それは、世間に対して故人の業績を誇示し引いてはその家の価値をアピールする。葬式は、格好のデモンストレーションの機会なのである。」(P122)


実際にあげられる葬儀の雰囲気や高級感、参列者の数といった部分から戒名のランクまで、世間体と見栄を過度に重視する気質が、どんどん葬式を高額にしていったと、著者は見抜いています。ある意味で、仏教界も商業界も、この気質を巧みに利用して、葬式に関連した値段を大幅に釣り上げてきたと見ることも事実ではないでしょうか。著者による葬式論が興味深いのは、この重要な点に注意を引いていることです。

 

葬式論に関しては、種々の作家が裏側を暴露しています。古来から伝わってきた仏教がどのように葬式仏教へと変容を遂げたのかそこにどのような宗教界の腐敗があるのか、葬祭業者との癒着にも似たどんなやりとりがあるのか・・・もちろん、それも事実なのですが、より重要な事として、いわば被害者のように振舞っている「我々」、消費者側が、

 

自分たちの中にある「見栄」と「世間体」の存在に目を向けることが欠かせないことです。

 

下記の戒名に関する指摘は、ほかのどの本にも無い鋭い視点です。

 

 

「檀家の側の見栄も働いていて、高額の戒名料をとられたと嘆く人の発言を聞いていると、実際に支払った額をあげるケースが多い。そこには、戒名料の額を周囲に示すことで、自分の家にはそれだけの財力があることをあんに自慢しているところがないとは言えない。寺の側としては、こうした檀家の心理も利用しつつ、高額な戒名料を布施として得ている。」(P134)


この点を理解しなければ・・・

 

葬式シンプル論者たちが、口角泡を飛ばして

  • 仏教の本来のあり方をといても、
  • シンプルな葬式の合理性を説いても、

結局は、その真のモチベーション(見栄)に動かされて、何かしらの形でボッタクられてしまうわけです。ですから、ある意味で、この本は、被害者意識を持つ葬式における消費者への啓発という側面があるわけです。「葬式は贅沢である」という冒頭の主張の真意はここにあるのではないか?と私は推測します。その意味で、葬式をテーマに取り上げながらも、日本人の「世間体」を気にする気質に迫っていく興味深い論考と感じます。

 

面白い視点ですね、

 

 

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