【書評】死ぬときに後悔すること25(大津秀一)

自分の生きた証を残さなかったこと

著者は、17歳で亡くなった少女が残した1枚の手紙を紹介していますが、それは病院の医師や看護師にあてた感謝・そして、激励の手紙です。その手紙を見るたびに、医師や看護師は、改めて命に向かい合うこの仕事の価値を感じ、仕事を行う意欲を高めることができます。

 

 

「何かを残そうとすること、自分という存在を作品を通して表現しようとすること。これは先に書いたように、非常に労力も要り、だからこそ病気をしていたり、あまつさえ死期が迫っているような体力が衰えた状態では、なかなかそれになすのは難しい。けれども一方、証を残そうとすることは己の生命を奮い立たせることでもある。生命は朽ちても、その残したものはその先にも生きる。それを感じるとき、人の力は増すのである。」(P184)

 

「死期が迫っても後悔しないように自らが生きた証を積極的に残そうとすべきである。また、その行為が後の人々の力となるのである。誰かの人生はその人に固有のものであり、他者がそこから学びや気付き、そして癒やしや勇気をもらうことも稀ではない。自らの後悔が減るばかりか、他人の人生の苦しみを減らしてしまうかもしれない。生きた証を残すことは、かようにも良きものなのである。」(P190)


誰かの人生にインパクトを残すことができる、それは、生きている意味そのものです。

 

自分の生きた証を残すことは、人間にとって固有の強い感情なのではないでしょうか。トイレの落書きから、出版される本まで、「俺はここで生きたんだ」という強い叫びととらえることもできます。人間は、存在に「意味」を求めます。

 

 

今、自分が行っていることが、誰かの記憶に残り続ける。誰かを支え、誰かを励まし、誰かの役に立つ、心を動かし続ける・・その確信が人を支えていきます。

 

このことを実感したのは、41歳で急逝した流通ジャーナリストの金子哲雄さんの「僕の死に方」を読んでからです。

 

 

金子さんは、死期が一か月に迫ったころに、自分の半生と、死後のプロデュースについて克明に記録していく必要を感じます。これまで、賢い消費、賢い選択を茶の間の主婦に訴えてきましたが、今や、一人の人間が「どのように死ぬのか」を克明に描きだすこと、それこそ、自分の最期の仕事であると決意したのです。

 

仕事をしているときは、生きる気力がわき起こってきたといいます。事実、「僕の死に方」の原稿を書き終えて、数日後に金子さんは亡くなります。彼は確かに自分の生きた証を残しました。最期に行いたいとすれば、まさにこのことではないでしょうか。おいしいものを食べたり、異性とつきあったり、遊んだり、こういう「欲望」には限度があります。ある一定以上は、もはや興味・関心を感じなくなります。「生」や「死」の前に、それはあまりに弱すぎる「欲望」なのです。

 

しかし、「自分の生きた証」をコこの世に残すこと。

 

これは、際限のない「欲望」なのかもしれません。

 

著者は、ひとつの方法として「手紙」を挙げています。上述の17歳の女子のように、手紙は人の心を動かし続けます。だれでも行うことができるのではないでしょうか。
Twitterで有名な「はるかぜちゃん」が12歳にして遺書を書いているというのが話題にもなっていましたが、

 

 

遺すことを考えた「手紙」は、もっとも深いところにある「欲望」を満たすものになるかもしれませんね。

 

私の提案は、ネット上にコンテンツを作り、それを残すことです。

 

私は、ヨシ・ノリハラという名義で、毎日、毎日、コンテンツを作っています。サイトは週に2個〜3個は定期的にアップしています。どんな遺言より、心のこもったコンテンツを作り続けることが、自分の生きてきた証を、ネットに刻み続けることになると感じています。家族がサーバーとドメイン代を払ってくれる限り、この財産はネットに残ることになります。(払ってくれるかな〜)

 

私が、日々、コンテンツを作り続けるのも、ネット上に自分の文章や動画や情報をアップし続けるのも、つまるところ、生きてきた証を残したいという動機なのかもしれません。

 

私が死んでも、ネット上にアップされているコンテンツは生き続けます。

 

自分の心を動かした情報が、これからやってくる何人、何十人、ときに、何百人の心を動かすかもしれない、その動機が、私を駆り立てます。多くのコンテンツメーカーたち(作家・小説家・漫画家・映画監督)、つまるところ、同じなのかもしれませんね。ある意味で、「永遠性」へのあこがれがあるのかもしれない。自分の命の長さよりも、ずっと長く続いていく可能性のあるものをコンテンツの形で世に残していくのかもしれない、そんな風に思ったりします。

 

時折、闘病記ブログなどを見ていて、最後は家族が亡くなった報告をされたりしますがその生き様や生の言葉が、しっかり残されているのを見て、胸が熱くなったりします。本人(故人)は知る余地もありませんが、誰かの心を温めたこと、まさに存在に価値があったことを証する、無数の瞬間なのです。これからも、一生懸命コンテンツを作り続けようとコミットしました。

 

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