難治の終末期医療の現実

難治の終末期医療の現実

金子さんがかかっていた、肺カルチノイドという病気は致命的なものでした。発見された時点では、いつ、窒息して死ぬかわからないといわれるほど、腫瘍が大きくなり気管を圧迫していたそうです。

 


Lung abscess / Pulmonary Pathology

 

がんと同様に腫瘍が大きくなりますが、金子さんのかかっていたタイプは難治で、放射線・手術・抗癌剤などが使用できないものでした。だれもがそうであるように、金子さんも病気が発覚した当初は、さまざまな治療法を探し求めなんとか生き延びようと努力し続けました。 しかし、現実の壁に突き当たり、1週間は泣き続けたそうです。テレビでのレギュラーを何本も抱え、ちょうど乗りに乗っている時期でもありました。

 

難治の病気でもあったために、大病院や専門病院での治療は行われませんでした。実名こそあげていませんが、金子さんは、こうした病院の対応に深く傷ついたようです。

 

大学病院にとって難治の患者を扱うということ

 

「私にとっては少なからず縁のある大学病院である。期待もあった。だが会った瞬間、淡い期待は木端微塵に砕けた。彼は私の目を一顧だにしてくれないのだ。書類やスキャン画像に目を落としているだけで、実にそっけない。・・・大学病院の医師は、治癒率を気にかける。それが業績や評判に直結するからだ。私の病気は治らない。この医師の側からすれば、私のような患者は、厄介者なのだろうと即座に感じた。」(P78)


この後、金子さんと奥様は、いくつもの病院を回りましたが、ほとんど、門前払いのような対応も受けます。実際、抗がん剤や放射線、手術ができない患者は基本的に何の助けも得られません。

 

ここに現代医学の限界や、盲点を見ます。

 

難治の患者が、民間療法に走ることを馬鹿にする医師は多いのですが、実際にはどこにもいけない患者がいるということを思い知らされます。私も医療にかかわる仕事をいくつか手がけていることがありますが、(私はいたずらに西洋医学批判をしたいとは思いませんが) 大学病院であっても、専門病院であっても、できることには限りがある。これも現実だと感じます。

 

医療の目的を「治す」ことを最終目的にしてしまうと、
もう「治らない」患者の場合は、何も成すことがなくなってしまうのです。

 

まさに、金子さんは、この事実を「身を以て」感じます。

 

そんな金子さんは、友人たちの助けも得ながら最終的に、在宅医療の道を選んでいきます。在宅で「死ぬまで」最大限に仕事をしながら生きることを決意したのです。出会った在宅医や看護師についてこうコメントしています。

 

在宅医療を受けることに決めた幸運

 

「大病を患って初めてわかったことだが、患者が医師の先生に求めているものは「信頼」だった。それは、病院の格や、世間での評判ではない。

 

「人柄」だ。・・・

 

野崎クリニックでは往診も行っていた。在宅終末医療にも対応できる体制を整えていたのだ。つまり、ここは、病院なのか自宅なのか、死ぬ場所を選ぶことができるクリニックでもあったのだ。まさに、最後の命を託する「命託医」だと私は思った。」(P96)

 

「ある種のわがままが許されているのも、通常のがん治療のコースを辿らなかったからだろう。自分が、名のある大病院を選ばなかったのは正しい選択だった。いや、実際には向こうから拒否されたわけだが。・・・人生の最終コーナーに向かう中、自分のしたいことをし、さらに心温まる医療サービスを受けられたことに、感謝したい。」(P112)


最期まで、在宅医療を行ってくれた医師・看護師に、金子さんは、この本を通して深く感謝し続けています。(実際に亡なるその日に医師を呼び、何度も何度も感謝を述べます)金子さんは、仕事をできる限り続けながら(世に病気を告白せず)闘病することを決意したのですがそうできたのは、在宅医療を選んだからだったのです。

 

最後まで「生きる」ための在宅医療

 

「おかしな言い方だが、末期がんとわかって以降、仕事の喜びが増した。毎回、「この仕事が最後かもしれない」と思って仕事に臨む。そう思うと、ますます全力で取り組むことができた。仕事ができる喜びを体いっぱいに享受することができた。」(P90)

 

「在宅で終末医療を受け、妻とふたり、自宅で過ごし、妻に看取られて死を迎える。それが自分にとっては最大限、幸せを享受できる最期の迎え方ではないかと今、確信している。・・・妻には迷惑をかけるものの、好きな時に起き、好きなものを食べ、何よりも自分のペースで仕事できる。このように原稿を書くことができるのも、在宅終末医療のメリットのひとつだ。」(P152)


テレビ出演なども、激ヤセ報道が出されるほど最後まで出演し続けました。実際、死の1時間前まで雑誌の連載の校正作業をしていたそうです。まさに、「死ぬまで現役」だったのです。金子さんの選択は、難治の病気、もしくは非常に厳しい病気との闘いを行う人へのひとつの道筋を示すものとなっています。

 

何が何でも病気と闘い「治す」ことがだけが、医療ではないということ。
ときに、「治らない」ことがわかっていても、最後まで患者の生活の質を
保たせるために、最後まで現役で「生きる」ために提供できる医療があることに気づかされます。

 

同時に、紹介されている野崎クリニックのように、往診を行い、在宅医療を献身的に行っている医師たちの存在にも気づかされます。在宅終末医療の実際の経験談を金子さんが、自分の経験を通して明らかにされていったことには確かに意味があったと思うのです。こういう「死に方」があるんだ!また、こういう「生き方」があるんだ!

 

という気付きです。

 

小まとめ

難治の病気に対して、大学病院、専門病院はなすことがほとんどない。「治す」ことだけに集中する医療にとっては「治らない」病気は存在しないも同じ。在宅終末医療を選んで、「死ぬまで」一生懸命に「生きる」ことを選んだ金子さんの勇気ある告白は、同じように生き方の質を最期に向けて考える人の大きなヒントとなる。

 

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