「かたち」としての葬儀必要論

「かたち」としての葬儀必要論

本書で一貫している葬儀有用論の根拠のもう一つの点が、葬儀という「かたち」が大事であるということです。

 

 

「心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。これは非常に危険なことなのです。この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつの「かたち」を与えることが大事であり、ここに、葬式の最大の意味があります。「かたち」には「ちから」があるのです。」(P34)

 

「儀式には「かたち」が必要です。結婚式とは、不完全な男女の魂に「かたち」を与えて完全なひとつの魂として結びつけること。葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて完全なひとつの魂として結びつけること。葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて、あの世の旅立ちをスムーズに行うこと。そして、愛する者を失い、不安に揺れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、動揺を押さえ悲しみを癒やすこと。このように儀式の持つ力とは「かたち」によって発揮されるのです。」(P131)


「かたち」という観点で、葬儀をとらえたことはありませんでしたが、どの国・どの文化圏でも、何らかの葬式が行われていることは確かに注目に値します。伝統や習慣には侮れない力があります。

 

突然、家族を失った人の心は大いに動揺します。今までここにいた家族という「かたち」を失った人は、不安定になります。よりかかれる存在を失うからです。

 

葬儀は、この喪失体験にひとつの「かたち」を与えるものとして存在しています。

 

と、著者は定義づけています。

 

これは、本書に記載されている例ではないのですが、インドのお葬式では13日目に火葬した骨をガンジス川に流すという葬式の形をとります。罪から洗い流されて解脱するためのひとつの儀式です。

 


Varanasi / taylorandayumi

 

この儀式を終えて初めて、遺族は、ひとつのこころの区切りをつけます。日本の場合も同じです。葬式仏教が批判されていますが、それは、葬儀そのものが要らないという意味ではないわけですね。

 

日本でも、最近、いろいろな形の新しい葬儀のスタイルが模索されていますがその変化の中で、これまでの伝統的な儀式が失われ、それが遺族や参列者に違和感を与えるということもあったようです。これは、葬式有用論の中でも、とりわけ説得力のある「お父さん、葬式は要らない」って言わないで の中で紹介されている事例ですが

 

 

最近流行の音楽葬を行った人の話。
1時間、故人が好きだった音楽がただ流れているだけで
参列者もずっと座っているだけ。しびれを切らした参列者が
「私は何をすればいいのでしょう」と語りかける、
笑えない笑い話のような実例が載っています。

 

是非はともかくとして、著者の橋爪さんは、仏式の葬儀の安定感を語っています。
僧侶が入ってきて、読経があり、焼香があり、とひとつの「かたち」を
持っている葬式は、やはり安心感があり、惑うことなく悲しみに浸れるといいます。

 

私は、特に仏式の葬儀を希望していないのですが、あまりにも新たなスタイルの葬儀を持ち込んだり、

 

費用を安く抑えようとシンプルにするあまり、「かたち」が崩壊してしまい、
その結果として、遺族が気持ちを切り替える機会を永遠に失ってしまう。

 

それもひとつの懸念として起こりうることです。

 

著者は、この論点を補強するために、僧侶で作家でもある玄侑氏のコメントを引用しています。このコメントも、葬儀にはひとつの意味があるという点を
明確に思い起こさせるものになりました。

 

日常に戻るための、非日常

 

「葬儀は悲しみを発露し、しかも何かしらそこから力を得る場でもあります。弔うというのは、死者を悼み、また家族を慰めることですが、それも一定の型のある時間にこそ瞬発しやすいものです。日常に戻るため、あえて非日常をつくるというのが葬儀なだと力説する玄侑氏。」(P143)


葬儀という「かたち」を行わないことで、その後、遺族が日常に戻るのが難しくなるという指摘は興味深いものがあります。たとえば、葬儀を知らされなかった縁戚がその後も、会うたびに皮肉を言って来たり近所の人や友人など、後になって聞きつけた人が、お焼香だけでもしたいと訪ねてきたり香典を持って来たり、いつまでたっても落ち着かないといいます。

 

葬儀というひとつの期間限定の「かたち」があることで、
日常を取り戻すことができる。

 

何百年・何千年も続いてきた儀式・伝統に意味があるということを今一度思い起こすのも葬式有用論にとって、ふさわしく思える論点と言えます。儀式論・伝統論・イベント論として考えてみても面白いかもしれません。

 

小まとめ

故人を失った遺族の心は不安定になる。その動揺に、葬儀というひとつの「かたち」を与えることで、それは気持ちを切り替えるきっかけになり、新たなスタートの第一歩となる。

 

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