遺族にとって必要な「悲しみの儀式」としてのお葬式

遺族にとって必要な「悲しみの儀式」としてのお葬式

著者は、葬式には4つの意味があると言います。最近の葬式批判が取り上げているのは一面だけであり、他にも考えなければならない点があると説きます。

 

葬式に含まれた4つの意味

 

「1:遺された人達があらためて、故人の人生を振り返ることができる機会
2:故人に感謝の念を抱く場
3:悲しい、悔しいといった思いに遠慮無く浸れる時間
4:霊の処理や供養など宗教的な意味

 

今は、明確な信仰があるわけではないから、葬儀は要らないという人が増えているのだろう。だがそれは四つの意義のうちの、四番目だけを取りあげて、宗教的な意味が失われたから要らないと言っていることになる。私には葬儀の意味が、ことさらに矮小化されているように思える。」(P58-59)


最近の、葬儀・葬式批判は主に、葬式仏教の批判です。高額な戒名料やお布施。宗教心が無い日本人が、葬式の時だけ大枚をはたくのはナンセンスである。これが主に、唱えられている点です。しかし、著者が言うように、葬儀には幾つもの役割があります。とりわけ、忘れてはならないのは、遺族のための葬儀の意味です。

 

遺族を支えるグリーフケアの一環としての葬儀

 

「葬儀には悲しむ人への「支え方」という知恵の集成の一面がある。死別によって心に痛手を負った人は、周囲の人々の思いやりや優しさに守られたのだ。しかし葬儀の担い手が葬儀社へと代わって、遺族はただ丸投げするだけの消費者になり、葬儀の意味がまったくわからなくなってしまった。」(P82)

 

「もちろん、参列者が多くて規模の大きい葬儀がいいと主張したいわけではない。だが葬儀に来てくれた参列者によって、遺族は肉親を失った悲嘆を軽くできるのだ。この効果がすっかり忘れられてしまった。・・・参列者がほとんどいない葬儀では、遺族が知らない故人の人柄などを聞く機会もなくなり、ただスケジュール通りに葬儀だけが進んでいく。これでは遺族の心を温めたり、辛さをやわらげたりすることはできない。」(P84-85)


もとより、葬儀社に任せっきりの葬儀では、そもそも、遺族の心を癒やす効果が少ないというのは言えるでしょう。江戸時代には「葬式組」と呼ばれる組織があり、ムラで誰かが死ぬとすぐにムラ全体で、葬儀にあたり、同時に家族は大いにケアされました。ムラは面倒で、煩わしいものでもあるのですが、その反対の面として、温かく相互支援的でした。

 

このつながりを葬儀社に期待することはできませんが、故人がこれまで培ってきたネットワークの中で故人を送ることはやはり必要ではないかと私も感じます。私がこれまで経験してきた、お葬式の中でもっとも理想にできるものがあります。(著者が述べている提案は良いと思いました)

 

お別れ会を開催する

 

「直葬の場合も、お別れ会などをあらためて開くことをおすすめする。お別れ会なら自分の納得のいく送り方も実現しやすい」(P97-98)

 

「アメリカの葬儀では中盤あたりで「シェア(Share)」という時間をよく設ける。言葉の意味通り、故人との思い出を参列者みんなで共有する時間である。」(P67)


直葬は、ごくシンプルなものです。火葬を中心としたものであり、そこには一切の儀式的要素がありません。もともとは身寄りのない人や、独居老人、ホームレスなどの葬儀の形態として生まれましたが、(誰も付き添う人がいないので、火葬だけをシンプルに行った)現在では、直葬の割合が全体の4割くらいまで拡大しているといいます。

 

しかし、それだけでは、繰り返し述べられているように、遺族の心を癒やすための場がありません。そのため、著者は、もし、直葬として葬儀をシンプルにするとしても、別の日程で「お別れ会」などを開くことを提案しています。

 

香山リカ氏の友人の、島村麻里さんのお別れ会はひとつの理想の形になるのではないかと私も思いました。

 

 

これは、遺族のためのものです。

 

また、故人の思い出を語り、遺された人たちが前に向かう区切りのためのものです。私も過去に叔父の葬儀はこの形で行いました。亡くなった直後は、直葬をすぐに行いましたが、その後、2週間ほど後に、300名くらいのホールを借りて、そこで、追悼式を行いました。すでに亡骸はありませんでしたが、故人の肉声や写真なども公開され、たくさんの友人達がやってきて、叔母を慰めてくれました。やはり、それは、ひとつの区切りになったと思います。そこで、また前を向いて歩もうという気持ちになったものです。

 

遺族にとって必要な「悲しみの儀式」としてのお葬式
Wikiより

 

「葬式は、要らない」(島田裕巳)の中にも、中江兆民が「葬式は不要だ。葬式をしたら化けて出る」と言ったというエピソードが出ていますが、遺された人はやはり、区切りをつけられなかったために、自由民権の運動に参画していた仲間達(板垣退助・大石正巳など)が宗教的なものを一切排除した「告別式」を開いたということが書かれています。これが、今の「告別式」の始まりになったそうです。

 

本人は葬式は不要であるという強い心情を持っているにせよ、遺族のことを考えると、何らかの場、整理をつけるための場が必要であるということでしょう。

 

小まとめ

費用的、宗教的な意味での葬儀の必然性は下がっているが、遺族の心のケア、遺された人たちにとっての前を向いて歩いて行く助けとしての葬儀は必要なこと。直葬のようにして、シンプルで簡素に葬儀を行うとしても、遺族のために、お別れ会などの「場」を設けるのも有効なこと。

 

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