【書評】お父さん、「葬式はいらない」って言わないで

行き過ぎた葬式不要論について考える

著者は、葬式必要論を本書の中で説いていきますが、念頭にあるのは、最近、急速に広まっている、葬式不要論(簡素論)です。正直なところ、私も、島田氏の「葬式は、要らない」に影響を受けました。

 

 

一時期、本気で葬式は要らない!私もそう思いましたが、上記の書は、葬式批判というより、既存の葬式仏教・戒名への批判本で、大きな意味でとらえた時の葬儀がいるかいらないかは、まだまだ議論の必要なところだと思います。特に、この本から、葬式に関してはもっと違う視点から物を見られるようになりました。極端なのは、日本人の悪い癖でもあります。

 

やみくもに簡素化された別れの儀式

 

「直葬の急拡大は、右に行きすぎて悪いと思ったら、一気に左に振りすぎてしまう、日本人の悪い癖が出ているのではないか、やみくもに簡素化された別れの儀式では、別の問題が噴出してきているように思えるのだ。その問題とは、遺族に必要な支援や、悲しみを癒やす機会が失われてしまうことである。」(P52)

 

「生と死の交錯する場面が見えなくなっただけに、現代の日本人は「死」に対して非常にナイーブだ。頭では理解していても感情を処理しきれない。あるいは、理解できる範囲で合理的にものごとを処理しようとする。そこにさまざまな問題が起きているのだ。急速に近代化した日本では、死別の悲嘆を癒やす知恵や仕組みが失われ、個人に任されようとしている。」(P43)

 

「死は、遺されたものがどう生きるかを考える機会である。「死者の送り方」=葬儀は、悲しむ人を支える知恵を集成したものであった。」(P44)


著者は、グリーフケアの専門家でもあります。

 

グリーフというのは「悲嘆」という意味で、遺された遺族の心の傷を癒やす視点で考えた時に、行き過ぎた葬式不要論には危険があります。著者が述べるように、葬式の中に含まれている「死別の悲嘆を癒やす知恵や仕組み」も失ってしまうことになるからです。しかも、その代わりに提供できるものが無いなら、遺族は実に中途半端な状態になってしまい、結果として何年も、何十年も、悲しみや苦しみを抱え込んでしまうのだと言います。

 

グリーフ(悲嘆)は、身体的な傷(怪我)に似てます。

 

最初は血が流れ、痛み、触ることも出来ない状態ですが、やがて良くなります。相応しい介抱をするからです。止血し、消毒し、包帯を巻き、ふさわしいケアをするので、やがて時間の経過と共に治るのです。

 

しかし、もし、傷口にバイキンが入ったりするとどうなるか?一切ケアをしなければどうなるか?化膿したり、傷んだり、いつまでも痛みはとれないばかりか、日常の活動まで制限されてしまいます。最悪の場合は、壊疽してしまう可能性だって無くはないのです。

 

ある点で、既存のお葬式は、遺族の心を癒やす一定の役割を果たしてきました。もちろん、お金が掛かり過ぎることや、問題点もなかったわけではありません。しかし、それが一気に無くなってしまうなら、遺族の心をケアする役割の代替を確実に用意して行く必要があるのです。

 

家族葬がブームですが、葬式のときに、家族だけではなく、縁故のある方が集まることには意味があると著者は説明しています。

 

家族葬ではわからないこと

 

「身内だけの葬儀は、故人の親族以外の人間関係を断ち切ってしまうことになる。遺族は、故人の意外な一面を知る機会を失ってしまうのだ。なくなったことを誰よりも悲しんでいるのは、家族である自分だと思っていたのに、故人の友人が悲しみに暮れていたり、たくさんの人から慕われていたことなどを知ることで、自分の悲しみの形がはっきりとわかりはじめる。しかし近親者だけの葬儀では、それがわからない。」(P54)


人は社会的な存在です。家庭だけではなく、さまざまな関わりをしていきます。家ではゴロゴロしている父親が、会社では多くの部下に慕われている上司だったり、昔からの親友の目からすれば、子供の頃から何も変わっていなかったり、一人の人に色々な側面があります。葬式のときに、家族を慰めるために故人の友人たちが来てくれることで家族は故人について新たに知り、そして、再び心の中に温かい物を持つ機会になると言うのです。

 

まちの葬儀屋さんの三代目も自分の父を亡くした時のことをこう語っていました
ザ・葬儀のコツ まちの葬儀屋三代目が書いたそのとき失敗しない方法

 

「私は27歳で父親の葬儀をしましたが、お別れの時、家族以外の方がこんなにも父の死をいたんでくれているのかと涙がでるほどありがたかったことを覚えています。自分の肉親が多くの人びとから大切に思われていたことを実感した時間でした。このお別れの時に、父親の生き様が初めてわかったような気がしました。」(P145)

 

 

一貫して、考えるべき視点として提供されているのは、「遺族にとって」の葬式の意味です。

 

 

小まとめ

やみくもに葬式を簡素にしていくという発想は、遺族の心を置いてけぼりにしている。グリーフケアの観点から言えば、葬式には過去からの知恵の集大成があった。代わりになるものを提供せず、ただシンプルにするだけでは、遺族の心のケアが達成されないままになってしまう。

 

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