自宅への五月雨式弔問客

密葬にしたところ、自宅へ弔問客が次々と来てしまった

葬儀を絶対にしないで欲しいと遺言を遺す人は少なくありません。故人の遺志を尊重しようとして、結果的にもめてしまうという事例も数多くあります。島田氏の冠婚葬祭でモメる100の理由(島田 裕巳)によると、密葬にしたものの、その後、葬儀を知らされなかった友人・親族たちが次々に訪ねてきて、たいへんな目にあってしまったという人の例が掲載されています。

 


Campus scape spring 2009 / Hiroshima University Campus Scape

密葬にしたところ、自宅へ弔問客が次々と来てしまった

 

「父が亡くなりました。遺志を尊重して親族のみで密葬にしました。しかし、葬式から一週間ほどの間、訃報を聞いたというお客さんが何人も五月雨式に自宅へいらっしゃるので、対応しきれません。突然の訪問をお断りすることは失礼でしょうか。いっそ葬式をしっかりあげていたほうが楽だったかなと思います。」(P108)

 

「ひとりの人間は、家族や親族だけでなく、友人や知人と関係を持ちながら生活していました。そのため、故人と親しい関係に会った人達は、どこかでその死を確認したいという思いをもっています。葬儀は、故人を葬るという役割を果たすとともに、関係者に死を確認させる機会としても機能しています。その機会が失われると、どこか落ち着かず、それでせめてご焼香だけでもさせてほしいと、自宅を訪れる結果になるわけです。もし、自宅への訪問を断れば、今度は墓参りさせてくれという要望が出てくるかもしれません。そうなれば、墓の場所を教えなければなりませんし、そうした人達の手前、頻繁に墓に出かけ、墓をきれいに掃除しておかなければならなくなってきます。そうなると余計面倒なことになってきます。」(P109)


 

また、「葬式プランナーまどかのお弔いファイル」にも一章を割いて同じような事例が載せられています。「直葬-ふつうじゃなくてもなんとかなる」という章で、夫が、葬式はしないでほしいと遺言し、それを守って「直葬」した後に、弔問客ラッシュに襲われる未亡人を小説形式で描いています。これが現実ですね。設定ではご主人はカメラマンだったとのことで、社会的にも多く接点がありました。

 

とうとう予定していなかった香典返しを手配することになった

 

「骨は初七日にあわせて義母が福井へ持っていった。そのことを告げてもなお、弔問客はひきもきらない。ありがたい話ではあるが、正直な話、辟易した。あくまで故人の希望で出来る限りのことをやったのだが、死を知った人たちはみな、言葉は変だが「弔いたがる」のであった。葬儀社がサービスでつけてくれた小さな遺影を、ちゃぶ台を組み合わせた急ごしらえの祭壇に飾ると、弔問客は皆、手を合わせた。

 

香典も辞退したが、それでも皆、用意してくる。持ってきてくれたものをむげに断るわけにもいかず、とうとう予定していなかった香典返しを手配することになった。・・・「何故、こんなに悪くなる前にひと言連絡してくれなかったのか」とあからさまになじる人もいた。何であなたに連絡しなきゃならないのよ?というのを必死でこらえ、行き届きませんで、急だったもので、と繰り返していくうちに疲れ果てた。本当は、もう誰とも会いたくないくらいだったが、弔問客を断るわけにもいかない。真理子は夫の臨終の時よりももっと精神的にダメージを受け始めていた。どうしてあんな遺言を残して逝ってしまったの、どうしてまともに葬儀をさせてくれなかったの・・」(P84-85)


実はこれは珍しいことではないようです。

 

直葬の広まりを考えますと、これはよく考えておかねばならない点となるでしょう。とくに島田氏が指摘するように、高齢者ではなく、現役で働いていた人、社会的なつながりが多く、会葬者も多いと予想される方であれば、葬儀のような節目、区切りを設けないといつまでたっても、遺された人たちの感情が収まらないと言えるのかもしれません。

 

日本のエンバーミング・グリーフケアの第一人者である橋爪氏によると、遺族が気持ちを整理する機会としての葬式はやはり必要との見解です。これは友人たちとしても同じなのかもしれませんね。アメリカでは、友人たちが故人の思い出を語り合う「Share」という時間があるそうです。これにより、涙を流したり、笑ったりしながら、故人の思い出に一区切りをみながつけることができるわけです。この時間を経なければ、故人を亡くしたことが、傷のようにいつまでも心に残ってしまう。(参考:遺族にとって必要な「悲しみの儀式」としてのお葬式

 

その気持ちは分かります、まるで失踪してしまった人のように、突然、その存在が世の中から消えるというのは、なかなか人にとって理解できないものなのでしょう。遺族だけではなく、その人をとりまく友人たちのことも考えて、葬儀は計画すべきかどうかを検討する必要があるのです。人が死ぬというのは決して小さなことではないのです。

お別れ会という区切り方

香山リカさんが著書で書いているように、島村麻里さんのお別れ会(通夜でも告別式でもなく、死後2ヶ月後ほどに行われた)はひとつの理想の形になるのかな?と考えています。通夜も告別式もしないけど、ちゃんと、区切りの場は設けるから、と言っておくのが、社会と接点をもっている人の逝き方ということになるのかもしれません。(参考:島村麻里さんの「お別れ会」

 

前述の本でも、結局、納得の行かなかった友人たちが、お別れ会をするということで決着がつきます。これはひとつの現実的な姿なのかもしれませんね。

 

友人を失った俺達のための儀式

 

「夫のかつての仕事仲間の一人から、声がかかった。仕事仲間や撮影してもらった人を集めてお別れ会をしたいというのだ。・・・「お別れ会はさ、俺達がけじめをつけるためなんだから、いいじゃない。なんかね、このまんまじゃ、浮かばれないのよ。ちゃんとしてやりたかった、っていう、俺達の気持ちがさ」。

 

「重病だから、そっとしておいただけど。お別れも言えないなんて、ちょっときついじゃん。みんなで集まって、圭ちゃんについて語り合って、酔っ払って、騒いで、っていう。いや、飲み会の口実にしたいんじゃないよ。幹事は、俺がやる。」

 

「いいの、やらせてくれよ。これは表向きは圭ちゃんのためだけど、実際は圭ちゃんのためにやるわけじゃないよ。俺達が、けじめをつけるために、やりたいの。」

 

「だからさ、故人の遺志は、一切関係ないわけよ。これは、沢田圭っていう一人の友人を失った俺達のための儀式。でも、俺、みんなには圭ちゃんのために集まろうっていうよ。だってみんな、圭ちゃんのために何かやりたがっているんだもん。死んだ人に何かしてあげると、俺達が落ち着くの。だからやらせてよ。」(P87)


友人たちの怒涛の押切で(笑)、お別れ会をすることになるわけですが。故人もそういうことも含めて嫌がっていたわけではなく、面倒な手間や、高額の仏式葬儀をあげてほしくはないという願いだったと思いますから、これはこれで正しいあり方なのでしょう。

 

私も自分の葬儀は、直葬+お別れ会で考えています。そのためにも「直葬」部分は徹底的に、節約します!

 

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