ボクのプロフィール

「葬儀」は生前に自分で、「相続」は死後に家族が考えるもの。

「葬儀」は生前に自分で、「相続」は死後に家族が考えるもの。
Designed by Freepik

 

終活に携わり、介護・医療の選択・終末医療・葬儀・相続・後片付け(遺品整理)という分野を考えれば考えるほど、興味深い事実に気が付いてしまいました。それは、人が当事者として考えることができる分野は限られているという発見です。そうすると、終活にも2つの分野しかないことが分かりました。

当事者として考えられるか、そうではないか

亡くなる人(本人)が当事者として考えられる分野

圧倒的に考えるのは「葬儀」や「お墓」についてです。自分が死んだあとには、もうどうでもよいでしょう?と言いたくなりますが、気になってしょうがないのが、どのように葬儀をされるのか?家族に迷惑をかけるかどうか?ということのようです。実際に終活で積極的に当人が携わるのは、この辺の活動に終始しています。ですから、生前に行われる終活は、明らかにこのサイトで取り上げているようなことなのです。中には自分で骨壺を作ったり、死に装束を作ったり、散骨してもらう場所を選んだり、そこらへんに全精力を費やす人もいます。

 

しかし、考えてみると、葬儀がどのように行われようが、最後がどんなものであるか?本人には、実はあまり関係がなくて、本人がどうのこうの言えない部分なのに、本人が気になるのは、まさにここなのです。

 

その一方で、より一層、重要で準備が必要な終活はおざなりにされることが多いようです。

 

本人が当事者として考えられない分野

遺族としては、差し迫った問題として相続・遺品整理後片付けなどが、降りかかってくる問題になります。なんだかんだ、葬儀などに関しては、本人の意思がどうであろうと、そこにいる家族の総意で進んでいくものですし、身もふたもない言い方をすれば、1日、2日で過ぎ去る問題です。しかし、相続をはじめとした後処理は膨大な時間とストレスがかかります。

 

家族としては、どうせ終活するなら、まさに、こういう処理(事務手続きや整理)をちゃんと自分でやっておいてくれなかったのか?と思うものですが、これはやりたくない(頭が回らない)というのはどうにも不思議に思えます。本人がちゃんと仕切らなければならない「遺言」や、モノや負債の整理、人間関係の整理、こういうところは差し置いて、「葬儀」のことだけを考えるのはナンセンスです。しかし、これが現実です。

 

そう考えると、同じ、終末分野でも関心事はおかれた状況により異なることが分かります。

 

私は相続サイトで亡くなる前に自分でできる相続の備えをまとめましたが、実際には相続後にバタバタしはじめ、遺族が困って情報を探しているということに気づきました。一番大事な、本人はそんなこと何も構わずに亡くなっていくのです。これは実に興味深い人間の傾向です(不謹慎かもしれませんが)。少しじっくり考えてみたいテーマではあります。

まとめ

何のオチも啓発も無い記事ですが、サイトをまとめていくうちに、気が付くことができてきました。人は、本当は備えをしたほうが良いことに目を背け、そんなことをあんたが考えなくても良いのにということに必死で思いを巡らすようですね。自分も含め・・・。

 

はい、単なる独り言です。

 

あわせて読みたい

葬儀屋さんと生前打ち合わせをしてみました。



 

これは、私の考えですが、葬式は儀礼を一切取り去り、
出来る限り「シンプル」にしたいと思っています。
私が実際に打ち合わせ、生前見積もりをした葬儀屋さんを
ご紹介いたします。メールのみでのやりとりも可能です。




直葬・火葬式可能なシンプルなお葬式プランが安い(資料請求)



スポンサードリンク

関連ページ

自分のエンディング
叔父の葬儀に出会い、自分の人生を自分で決める最後のプロデュースに関心を持つようになりました。
理由の無い「葬儀恐怖症」
私は葬式・葬儀がとにかく怖い、という気持ちを持っていました。今考えると、まったく未知のものへの恐怖心だったのです。調べることで克服しました。
死を考え生を考える
死に方を考えることは、生き方を考えることに、そのまま繋がっていくということに気づきました。目を逸らさずに、自分の生に向きあうために、死を考えます。