日本人の仏教に対する無知が葬儀をビジネス化させてきた

日本人の仏教に対する無知が葬儀をビジネス化させてきた

日本は「仏教」だろ〜というおじさんによく会います。

 

でも、そもそもの仏教に関する知識が非常に希薄なのが、今の日本ではないかと思えます。もともと、仏教だって、海外から持ち込まれたものですしね(日本は神道だよね)まあ、日本人の仏教批判はおいておいて、葬儀と仏教の関わりに関して考察していきます。著者は、そもそも、仏教の原典にあたり、釈迦が言ったことを調べながら現在の葬儀と仏教の関わりを批判しています。

 

本書で一貫して示されている主張は下記のものです。
(タイトルにもなっていますよね)

 

「葬式に坊主は不要」と釈迦は言った

 

「もともと仏教では、死後のことは不問に付していて、葬送儀礼についてもあまり重きをおいてこなかった。今日当たり前のように行われている戒名だの回忌法要だのといったことも、釈迦自身はまったく説いていない。・・・実を言うと、仏教の原点である釈迦の時代には、僧侶は葬儀に関わるべきではないとされていたのである。」(P22-23)

 

「釈迦には、人間が生来持ち合わせているそうした醜い心の存在を知っていた。しかも、そうしたことをビジネス化しようとする際、釈迦にいちばん近いところにいて修行していた僧侶がもっとも有利な立場にあることもわかっていたのだ。「有利」ということは、そのことを利用して、一般の在家信者に対し傲慢な態度で接する可能性があるということを意味している。そうであるが故に、僧侶が自分の葬儀に関わることを固く禁じたのである。」(P86)


興味深いことに、釈迦の葬儀は僧侶が関わるものではなかったと。というか、釈迦は禁止したわけですね。出家者ではなく、在家者が葬儀を行ったという基本がまずは、知られていません。宗教にお金が絡んでくると、何でも腐敗し出します。今の日本の仏教(葬式仏教)は、釈迦も真っ青、がっかりのものなのでしょう。

 

葬儀に関わる僧侶たちは、そのことを真剣に考えているのか!と著者は怒りを露わにしていますが、その実、僧侶たちも、檀家の減少や、もともと無い信仰心がさらに衰えている現代社会で、まず、生きていくために精一杯で、なんとか取れるところからはとろう(稼ごう)とするため、この現状を憂えるどころか、システムに組み込まれていってしまっているというところなのでしょう。

 

僧侶、仏教、そのものを改革するのは難しいことでしょう。そもそもシステムを変えるというのは難しいことです。特にお金が絡んでいれば、大事なのは、いわば消費者である、我々が、本質を理解しておくことです。日本の葬儀のデフォルトは「仏式」ですが、突き詰めていくと、日本の葬儀は、世界でもまれに見るくらい、色々な信仰がグチャグチャに混ざったものなのだとか・・・

 

日本の葬式は仏教・儒教・神道の混合(ごちゃごちゃ)

 

「加地信行氏は「儒教とは何か」の中で、日本でごく普通に行われている葬儀の流れに沿いながら、その起源を示している。

 

それによると、

 

◆死後、通夜までは自宅に遺体を安置する→儒教における「もがり」の風習にちなんだもの
◆通夜・告別式のとき、会葬者が死者の棺や、白木の位牌、あるいは遺影に向かって手を合わせている→儒教
◆読経が終わると導師が退席し、出棺の際は立ち会わない→仏教
◆出棺の際、家族・親族が棺を運び出す→儒教
◆荼毘に付す(仮想)→仏教
◆お骨を大事にする→儒教
◆お清めの塩→日本古来の死生観に由来する

 

儒教とは何か (中公新書)
加地 伸行
4121009894

 

ということになるそうだ。

 

・・・葬儀は仏式で行うものと決めつけ、-でもその意義がよくわからないから、すべては寺院・僧侶、あるいは葬儀屋におまかせ-にわかに仏教徒然としてふるまうわけだが、それは寺院/僧侶側の思惑にみごとにはまっているだけのことなのだ。」(P138-139)


 

仏教だけではなく、儒教の影響も色濃く受けているのが日本の葬儀の姿なのだといいます。ただ、それに気がついていない(気がついてもそんなに深く考えていない)消費者側の問題を著者は指摘します。

 

日本人の信仰心の無さを嘆く

 

「それまで、どこの宗派・教団とも関わりがなく、当然のこと信仰心もない状態で生きてきた人が、葬儀という場面に遭遇して、いきなり信仰心を問われても、困るのが当たり前である。信仰心がないと故人の成仏はままならぬなどというのは、あまりに身勝手な言い分である。逆に、それまで信仰心を持ち、宗派・教団の活動に関わってきたというなら、そうした言い方をするのは当たり前の話である。故人の遺志・あるいは家族・近親者の意志もはっきりしているから、葬儀屋もかえってやりやすいかもしれない。しかし、大多数の人が、そうしたこととかかわりのない人生を生きているのが日本人だから、死や葬儀について曖昧模糊とした考え方しか持っていない。そのため、葬儀屋にまかせっきりというスタイルになってしまうわけである。」(P217)


結局、「分からないからお任せします」という姿勢が、葬儀業界のボッタクリを許しています。もし、本当に仏教の教えを真剣に考え、故人のための葬儀を仏式で行いたいと思うなら、真剣に教えに沿った儀式を行うべきでしょう。

 

私自身は仏教ではないので、釈迦が何を願っていたか、それを、どう実践していくのか、というところに関してはそれほど、突き詰めて考えることはありませんが・・・

 

もし、そこまで信仰心が無いのであれば、世間体を気にして、いわゆる「一般的」な葬式をあげようとするのは消費者として葬儀ビジネスの片棒を担いているようなものです。どんなビジネスも、需要が無ければ成り立ちません。

 

はっきり言って、日本の葬式仏教は、世界に恥を晒すような劣悪なボッタクリ産業であると私は感じます。ですが、それをすべて飲み込んでしまっている日本人の集団心理もやはり批判されるべきです。「坊主丸儲け!」と陰口を叩くだけではなく、自分たちの信仰心も見直す必要があるだろう!というわけです。

 

創価学会の家族・友人葬

 

「これは考えようによっては、より釈迦の仏教の原点に近づいたと見ることもできる。たしかに、これまで述べてきたように、釈迦の本意は、出家者が葬儀に関わったりしてはいけないという点にあった。・・・葬儀は在家の人たちだけでもできることを示してくれているのが創価学会の家族、友人葬なのである。・・・要するに葬式に僧侶がいようがいまいが、葬儀そのものは執り行うことができる・・・実際には、僧侶の存在は必要不可欠でもないということがわかってきた。その意味でも、この家族・友人葬という創価学会会員の試みは注目に値する。」(P192-193)


批判が多い創価学会ですが、ある意味では合理的なのかも。著者は、学会員では無さそうな雰囲気でしたが。さて、お葬式といえば、お布施や戒名について話題になりますが、そもそも、お葬式でよく聞くこの仏教用語すら意味が違うものばかりなのです。悲しいよね、この現実、どう考えますか?

 

本来の意味を失った仏教用語のビジネス利用を嘆く

 

以前、読んだこの本(「葬儀屋さん」の打ち明け話)によると

 

「○○□□信士(信女)」で三十万〜五十万円。
「○○□□居士(大姉)」で五十万〜八十万円。
「△△院○○□□居士(大姉)」で八十万〜百万以上。」(P98)
これは役立つ「葬儀屋さん」の打ち明け話―知っておいて損はない、葬式あのことこのこと (成美文庫)

 

だそうです。
(相場はそれぞれ違いがあると思いますが)

 

まず、普通に考えると、

 

なんでそんなに高いの??

 

この疑問はわいてきます。そもそも、仏教における、戒名ってなんなのか?を考えてみないとなりません。著者は、戒名が日本独自のシステムであることを嘆いています。

戒名は日本独自の噴飯ビジネス

 

「当初は、出家・得度し、受戒(仏の定めた戒律を守ると誓うこと)を済ませて仏教修行の途上にある人だけに与えられるのが戒名であった。その場合も、現に生きている者に対してしか戒名は与えられなかった。・・・在家の者は、受戒して出家しない限り、戒名が与えられるなどという習慣は全くなかったのである。それを在家に与える(しかも有料で!)という、現在のようなシステムを開発したのはよほどの知恵者であろう!」(P33)


 

なんと、もともとは、出家する人に対して与えられたもので、死んだあとに与えられるものではなかったのです。しかも、お金をとって与えるようなものではないわけです。

 

釈迦の教えにしたがって生きると決定した人に授けられるものであれば死んだからと言って、またはお金を払えば自動的に、その道に入れると思うのは、あまりにも身勝手な考え方ではないでしょうか?そもそも戒名っているのか?上述の本(「葬儀屋さん」の打ち明け話)によると、面白い話がネタとして載ってました。

 

「一度だけ、本当に自分で戒名をつけたという方の葬儀を担当したことがあります。亡くなる何十年も前に自分でつけておいたもので、自分が死んだら、これを戒名とするようにと、家族に話してあったそうです。院号付きの立派なもので、誰も自作だとは思いません。・・・お経をあげていただくお寺さんには自作であることは言わず、遠い昔に近所のお寺さんにつけてもらったというウソをついて通しました。しかし、このウソは故人の最後の願いでもあり戒名の持つ意味を根本からひっくり返すものでもあり、よくよく考えてみると笑ってしまいます。」(P200)

 

これは役立つ「葬儀屋さん」の打ち明け話―知っておいて損はない、葬式あのことこのこと (成美文庫)

 

これがネタではなく、最近は自分で戒名をつける人もいるとか。こんな本もたくさん出版されているわけですから。

 

戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)戒名は、自分で決める (幻冬舎新書)
島田 裕巳

葬式は、要らない (幻冬舎新書) 【文庫】 戒名は自分で付けよう (文芸社文庫 こ 1-1) 自分でつける戒名 父の戒名をつけてみました 墓は、造らない 新しい「臨終の作法」

by G-Tools

 

しかし、まあ、私は本書を読んでこの戒名の由来について知ると、そもそも戒名というシステムがおかしいな?と思えます。

 

そもそも、戒名って必要ないんじゃないか??

 

という素朴な疑問がわいてくるのです。
どう思いますか。

 

さて、次にお布施についてです。
お布施も、相場が分からず、不安になるものの1つではないかと思います。

 

そもそものお布施の意味とは?

 

お布施とは何なのか?

 

「自分の心のなかにほんのちょっとでも「惜しむ」気持ちがあったりすると、厳密な意味での「布施」とはならない。仏教の考え方の基本に、自我への執着、お金や財産など物質への執着を断ち切るということがあるが、この布施はその第一歩といってもいい。つまり、お布施とは本来、何かの行為に対する対価などではけっしてないのである。」(P66)

 

「お布施とは、けっして「取られる」ものではない。仏教本来の意味からすると、供養、つまり喜捨なのである。それには、当然、感謝の気持ちがともなっていなければならないが、法事はごく形式的なものになってしまっている。自分たちの意思で行うのではなく、世間の習慣だからやる、あるいは親戚の手前、しかたなしにやるという考えの人が多い。」(P140)


仏教用語の「お布施」を真剣に考えた時には、代金の支払いのようにお布施を考える事自体が間違っているわけですが・・これは、仏教の葬儀に関する真摯な態度事態が、仏教徒を自称する日本人に無いことの表れでしょう。私は、仏教徒ではないので、そこんとこは、そんなにアレなのですが著者はそのことを真剣に嘆き続けています。少なくとも仏教徒を自覚する人は、その点、真剣に考えるべきじゃないでしょうか?(ボッタクリされないためにも、または、本当のお布施の意味を考えて愚痴は言わないために)

 

さて、本書は単に、葬式仏教批判で終わりません。葬儀革命が宗教革命につながることを願っているようで、新たな葬儀の扉を開いています。この本が出版されたのは1998年です。この時期にはまだ、著者の考えは受け入れられなかったかもしれませんが、今や、ずいぶんと、葬式仏教の束縛から解き放たれている人が多くなっています。ある意味で、著者の予言通りでしょうか。

 

 

これからの葬送を考える

 

世間体ではなく、本当に故人を送るための葬儀を行う家族が増えている。著者は「密葬」という形式が多くなっている状況を示唆しています。(1998年当時なので「密葬」と言ってます)今は、家族葬・一日葬など、もっとシンプルで軽い言い方が好まれるようになりましたが何百万もかけて、大掛かりな葬儀を営むというより、費用も手間も抑えて、本当に家族、身内だけで、故人を送る式が増えています。(これは予言通りでしたねw)

 

葬儀に関する価値観は変わりつつある

 

「密葬とは、家族や親族だけのうちうちの葬式のことだが、世間一般で行われている通夜や告別式を行わないスタイルが徐々に定着しつつあるようなのだ。故人の遺志かそれとも残された家族の意思なのか、どちらかわからないけれども、葬儀というのは人さまのためにするものではけっしてないということに、心ある人は気づいた証だろう。・・・故人をしめやかに、清々しい気持ちであの世に送り出すことができればそれでいいのではないかという、葬送の原点こそ、これからの時代にふさわしい葬儀のコンセプトと言えまいか。」(P198-199)


 

形ばかりの宗教儀式に縛られるのではなく、もっと、自分らしさ、家族らしさを追求することができることがわかります。そのニーズに合わせて、葬儀業界も大きく変わってきました。一時代前は、見積もり書もあいまいのままに、葬儀が行われていたようです。これは、相当に変わりつつあるのではないかと思います。

 

見積の無い葬儀ビジネス

 

「これは葬儀屋サイドの問題だが、請求金額の明細が欠かれていないことのほうが圧倒的に多いというのだから、不信の念はますますつのる。」(P204)

 

「あらかじめ見積もり書を受け取ったという人は全体の23.7%(日本消費者協会の調査による)しかおらず、せいぜい「価格表を見せてもらった」という人(44.4%)どまりである。きちんと契約書を交わした人に至っては12.1%(国民生活センター調べ)で半数以上(58.6%)は「口頭での約束のみ」というのだから、恐れ入ってしまう。」(P206)

 

「葬儀の次第については知っていても、その根本理念というか、基本的な考え方についてまったく知らないために、ほとんどすべてが葬儀屋の言うがまま、僧侶のなすがままで進行していく。そして、一切が終わってから、目の玉が飛び出るような請求書が届けられ、驚き慌て、悲憤慷慨するのである。」(P222)


 

実際に最近の葬儀では、生前予約・事前見積などをするのもなんの負担もなく行えます。それで不謹慎と言われることは無い時代です。実は、私も事前見積を利用したことがあります。私は、葬儀に儀式的なものを持ち込みたくないので、ほんとに、火葬のみ、一日で終わる手続き的にシンプルなプランで事前に見積をしました。

 

恥ずかしながらその記録をまとめてます。
(良かったらご覧ください)

 

先の話かも知れませんが、私は、本当にシンプルな葬式を希望しています。実際に、親や祖母のためにも今から調べようと思ったのが最初の動機でした。これが正当!これが常識!と言われるものの背後にある金儲け主義や、腐敗に気がついている人は少しずつですが、束縛から解き放たれつつあります。日本人の信仰心の無さは、相変わらずですが、著者が述べていたような意味での宗教革命は今起きているのではないか。合理主義の波が圧倒的に優位に立っているのではないかと思えます。私たちの世代にはこれは歓迎すべきことだと思ってます。

 

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葬儀屋さんと生前打ち合わせをしてみました。



 

これは、私の考えですが、葬式は儀礼を一切取り去り、
出来る限り「シンプル」にしたいと思っています。
私が実際に打ち合わせ、生前見積もりをした葬儀屋さんを
ご紹介いたします。メールのみでのやりとりも可能です。




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